(投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

寒中お見舞い

  • 局長
  • 2022/12/17 (Sat) 12:53:05
前回から長く放置状態で、また、いつものことながらご挨拶が遅くなりまして誠に申し訳ありませんが、今季は喪中につき年賀状につきましては、ご辞退を申し上げます。
ただ、お送りいただいた方には、時間をあけてご返信は致しますので、今しばらくお待ちいただければ幸いです。

一方、これを機に、時代の変化か、気の持ちようというべきか、近年流行?の「年賀状仕舞」も検討しております。
何卒ご了承のほど、お願い申し上げます。


最近の動向としては、長く解体が懸念されていた869、1044号車が、とうとう解体されたことが判明しました。
10月頃には車体のガラス類が全て撤去されて作業準備が進められていましたが、11月に入ってから完全に姿を消しました。
廃車から約30年。
最後は非常に痛々しい姿となってしまいましたが、これまでよく残っていてくれたこと、そして残していただいたことに、深く感謝を申し上げます。
しかしながら、山口市営を象徴した「カマボコ」の消滅は、残念でなりませんね。。

写真は10月の様子です。

山口市営バスの記憶展

  • 局長
  • 2022/04/27 (Wed) 00:11:38
連絡が遅くなりまして誠に恐縮ですが、去る23日(土)と24日(日)の2日間、任意団体「山口市営バス愛好会」では「山口市菜香亭」において、弊サイトの開設20周年を記念し、表記の企画展を開催させていただきましたことを、ここにご報告致します。

コロナ禍での開催ということもあり、感染対策を図ったうえでなお不安が残るため、大規模な広報等は行わず、山口市菜香亭様を偶然訪問された方にお立ち寄りいただくような趣向で進めましたので、これまで多くの方々にお世話になっておきながら、特に弊サイトを含めて周知を図るようなこともなく、このような形での事後報告となりましたことは、誠に申し訳ございません。

一方で、幸運にもお越しいただいた一般市民の方々からは、温かいお言葉やお褒めの言葉、感動のお言葉を多々お寄せいただき、運営側として大いに励みにもなりました。

また、今回の開催は、山口市営バスが、皆様の人生の節目や愛する人との思い出、忘れがたい出来事などと共にあり、それぞれの心のなかに今も鮮やかな記憶として残り続けていることを実感する貴重な機会でもありました。
それは既に一介のバス趣味の枠を超えた、追憶・追想、或いは人間ドキュメントの領域なのかも知れません。
その意味でも、開催させていただいて良かったと思っております。

わたくし共では、今一度山口市営バスという存在を山口市における貴重な記憶遺産または歴史資源の一つと捉え、後世に伝えていきますとともに、公共交通の啓発にも貢献したいと考えています。
これまでどおり引き続きのご協力、ご支援のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

最後になりましたが、今回の企画展にあたり、多くの写真、物品、書物、現物資料などをご提供いただきました皆様、そして山口市菜香亭様ほか関係者の皆様には、厚く御礼を申し上げます。

祝 20周年

  • なおっち
  • 2022/04/02 (Sat) 22:50:33
この度はHP開設20周年、おめでとうございます。

日々、歴史と実績を積み上げていること、改めて実感しました。
さらに10年後のお祝いができる日を、今から楽しみにしております!

局長様、山口市営バス専門のHPは唯一此処だけと思われます。この先も御身体に気をつけられ、研究をお続け下さい。

Re: 祝 20周年

  • 局長
  • 2022/04/20 (Wed) 23:51:11
なおっち様
いつもお気遣いいただきまして誠にありがとうございます。
年度末・年度始めの極多忙な時期ということもあって、長期にわたりご返信できず大変失礼いたしました。

気づけばもう20年、早いものですね。
多くの皆様から様々な情報や物的、心的ご支援を賜り、何とか低空飛行ながらも続けてこられましたことを、改めて深く感謝申し上げます。

なかなか世相が落ち着かないのが残念なのですが、この山口市の産業遺産の記憶を確実に後世に伝えるべく、研究活動は続けて参りたいと思います。
引き続きご支援ご協力のほど、何卒お願い申し上げます。

表紙写真は「赤バスが山口市の風景の一部になっていた」ことをイメージした写真を、約3年ぶりに再掲したものです。

新年のご挨拶

  • 局長
  • 2022/01/01 (Sat) 18:17:40
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

昨年は、ご承知のように中国地方は依然として感染症の大きな猛威に悩まされ、地域間の移動も制限を受けたことなどから慎重な検討を重ねた結果、研究活動や各種行事は悉く休止・延期となり、漸く活動らしいことが出来たのは、感染状況も落ち着いた11月下旬に1度だけ、という厳しい状態でした。

また、ハイオクガソリンが最大約190円になるという燃料費の高騰や、酷暑・豪雨・寒波といった異常気象、さらには鳥インフルエンザなど、不測の事態が公私にわたって生じたことに加え、直近の変異株の拡散には、関係先にご高齢の方も多いことから、今後の状況を改めて憂慮しているところです。

一方で、1233号車は故障等もなく日々運用され、特に先月は、年末恒例のクリスマス装飾が施され、多くの人の目に留まったほか、3000、3109号車の除籍以来、およそ2年ぶりに赤バスが平川、宮野・仁保地区に姿を現したことは、数少ない慶事でした。

そして、本サイトは4月で開設から20周年を迎えます。
若気の至りで始めた拙いサイトでしたが、気づけば20年も運営を続けてこられましたのは、偏に多くの皆様のご支援・ご声援の賜物であると実感しております。
いまやSNS等の隆盛を目の当たりにし、既に個人のホームページ形式は情報発信の手段としては主流ではないのかも知れませんが、掲載内容とその範囲に限りがあるという性格上は、今後もこの速度感に甘えさせていただければと思います。

引き続き皆様のご健康を祈念しつつ、本年もお付き合いいただければ幸いです。

※添付写真は、当職が過去の市営仕様の知見を基に簡単に加工したものです。

誤報

  • 局長
  • 2021/07/25 (Sun) 18:07:12
1月の投稿で「解体された」と報じておりました「う869」、「う1044」号車ですが、場所を移動して2台とも現存することが確認されました。

昨年3月に、所有者様より「解体する」との連絡を受け、その後、訪問して部品を何点か譲り受け致しましたが、4月には姿を消し、予定どおりに解体されたと判定していたものです。

しかしこの度、念のため改めて付近を捜索してみたところ、場所を変えて2台とも鎮座しておりましたので思わず仰天!

2台とも昨年春の時点で状態はかなり悪く、屋根には穴が開き、エンジンも腐食で脱落、内外ともに大きな破損も見られますので、万が一復元工事を施すとしても、高度な技術と膨大な費用を要することでしょう。
しかしながらこの2台の現存は、その事実だけでも、赤バス愛好家心理を満たしてくれるには十分です。

暫定的な措置であったとしても、現在まで保管の選択をいただいた所有者様には、何らお力にはなれないかも知れませんが、深く御礼を申し上げます。

写真は昨年3月時点の「う869」号車です。
非公式面は比較的良好のようにも見えますが、後扉は脱落し、吸気口は腐食で消滅、屋根全周に穴、重機で引いた際に、後部妻面は一部歪んでしまっています。
現在までに確認している、現存する山口市営41MC最後の一台です。

新年のご挨拶

  • 局長
  • 2021/01/01 (Fri) 19:05:31
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
また、細々と営む当サイトをご覧いただき、誠にありがとうございます。

昨年は、旧市営バスにとって一つの区切りを迎えた年となりました。

3月。
最後の路線仕様車として健在だった、平生所属の3114号車が廃車に。
市営最後の新規登録車であり、最終便も担当した、市営の歴史上欠かすことの出来ない車でしたので、時の流れの速さには無常の寂しさを感じたものです。

8月。
全市営車として唯一残った3010号車(646号車)も除籍。
湯田庁舎以来の全ての激動を見届けた、最後の証人の静かな最期でした。

これにより、旧山口市営の車両たちはその全てが過去帳入りしてしまい、辛うじて形を留めるものも残り僅か数台の「廃車体」のみ、という厳しい状況になっております。
しかし、その廃車体さえも869と1044が4月には解体されており、確実に数を減らしつつあるのが悲しい現実です。

さらには当会の活動自体も、世界的な感染症の影響で、当初の意気込みも虚しく、何ら実績を残すことなく終始してしまったことが悔やまれます。
しかし、活動の主体でもあるご高齢の方々との接触や、多くの方々を集めるような企画は、相変わらず終息が見通せないため、引き続き休止・中止を余儀なくされそうです。

一方で、当職単独の作業としては、逆にこの期間を利用して、何年もかけて収集してきた大小様々な物品の整理、保守、研究、復元などについて、進捗のあったものがあります。
この自粛が続く当面の間は、これらの活用方法について策を練っていこうかと考えているところです。

今年はどのような年になるのでしょうか。
先ずは皆様のご健康を祈念しつつ、本年も変わらぬご支援のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

※表紙の写真はご提供写真です(1994年1月撮影、湯田庁舎)。

21年目の夏に

  • 局長
  • 2020/08/03 (Mon) 22:34:40
予てより、旧山口市営の最後の現役車として去就が注目されていた3010号車(646)でしたが、7月末に遂に除籍されたことが確認されましたので、ここにご報告します。

3010号車は、1995年(平成7年)、「う362号」(三菱B806N,車齢19年11か月)の後継貸切車として、湯田庁舎に納車されました。
もともとは三菱のMS8系車、そして西工車体の導入を想定していたようですが、結果的には日野/純正車体での採用に至ったようです。
制作中から横浜の工場で内装の仕様を念入りに確認したためか、同時期に富山で落成した「う3000号」(三菱U-MK517J)は、納車前の検収が時間的に不能となり省略されたという逸話も伝わります。

導入に際しては、前年に導入された「う2892号」型路線車(三菱U-MK517J)と配色を揃えており、従来の貸切車と比較して、赤色の面積が減少しているのが大きな特徴です。

山口市営史上、最大・最強の車型であると同時に、当時最新の設備を誇る豪華貸切車として、様々な場面で市営末期の収益を支えました。

そもそも山口市営は、昭和25年10月に山口県内で初の観光貸切事業を開始しており、昭和26年には同じく県内初のリヤエンジンバスを導入、その後も天皇行幸や国体輸送、県内市町の共同広報活動、「市内定期観光」、「文化バス」など、山口県、或いは山口市を代表する観光・貸切事業を担う場合が多く、本車はその栄光の系譜に連なる、最後の存在だったと言えるでしょう。

その後の旧市営車としては唯一、車内外を防長社仕様に変更しており、登録替え(さらに県外転出)まで行われています。
そして山口復帰に際して選ばれたのは、本来の所属であった山口営業所であり、以降も路線化改造されることなく一貫して貸切仕様に留まったのは、幸運といえるでしょう。
晩年は機関不調に悩まされ、本来はもっと以前に処分の対象とされていたようですが、様々な要因が重なり、満身創痍の状態ながらも多くの方に支えられて、このたび27年にも及ぶ旅を終えました。

<主な車歴>
1993年(平成5年)9月6日、湯田庁舎に納車(同型車なし)。
1995年4月、宮野庁舎に移転。
1999年3月、山口市交通局閉局。防長交通山口営業所に所属。
2004年、防長観光バスへ編入。新山口営業所へ転属。防長観光仕様に塗装変更、座席モケットを交換。
2005年、広島営業所に転属。登録替え(広島200か780)。
2008年、防長交通へ再編入。山口営業所に貸切車として復帰。登録替え(山口200か646)。
2015年、冷蔵庫故障、防府競輪の送迎事業の専従車に。
2018年、支援学校の通学車(スクールバス)に。
2020年7月、検査期限満了。
 
かつて詩人が例えた「赤い花束」たちは次々と去り、そして最後に残った一輪の花。
姿を変えて静かに咲くその一輪に、これまで私たちは万感の思いを込め無限の命を感じていました。
全ての赤バスたちを看取り、そして宮野庁舎の本来の主として殿の責務を全うした本車を、いま称えたいと思います。

添付写真は、閉局から間もない頃の本車です(ご提供写真)。
一晩で車体表記を変えられた路線車とは異なり、本車は運命に抗うかの如く市営仕様のまま当面を過ごしたことが分かります。
こうして、大きな痛みを伴った公営事業の民営化は、21年目に漸く完結し、歴史的区切りを迎えたといえるでしょう。

赤バスの現状(5月6日現在)

  • 局長
  • 2020/05/06 (Wed) 18:44:49
先述のとおり、旧市営車の現状についてはもはや殆ど意味を成しませんが、あえて県内外のバスファンの皆様等に向けて、情報を整理しておきます。

現役車 合計1台
(1)路線:0台

(2)貸切:1台

  ■3010(現646)号車(U-RU2FTAB)
   ・市営最後の貸切導入車
   ・2004年に内外装を防長交通仕様に変更
   ・2005年に広島営業所に転属
   ・2008年に山口営業所に帰属  
   ・用途は汎用貸切→防府競輪輸送→支援学校送迎
   ・車検期限は2020年7月


既報のとおり、最後まで現役を続けた元路線車の3114号車が3月末に廃されたことにより、残存は1台のみとなりました。

3114号車の主な車歴としては、1995年(平成7年)5月2日、3106号型の7番車(後期3番車)として宮野庁舎に納車。
1996年8月、降車客と接触事故(相手方軽傷)。
1997年3月、前中扉の下に空気可動式の補助ステップ(色:黄色)を装備(3106号型全車に取り付け)。
1999年3月31日、市営としての最終便(下り到着)を担当。
2007年頃、前扉の補助ステップ、旗竿を撤去。
2011年、路線装備、電照広告箱、車体広告枠等を撤去。萩市田万川中学校のスクールバスとして転出。
2013年、田万川地区の河川氾濫に際し吉部に避難。
2015年、周南営業所に転属。競艇輸送の予備車に。中扉の補助ステップを撤去。音声合成装置(FC6000)、車内録画装置、位置情報装置を搭載。
2018年、平生営業所に転属。休車状態。
2019年、車外録画装置を搭載。
などとなっています。

市営最後の新車登録車にして最終便を担当、寮車を次々喪うなかで文字通り最後の「赤バス」として、記憶に残る多くの事績を遺してきました。

一方、現在も残る3010(現646)号車は、機関不調や仕業減少から置き換えの話題が絶えず、検査満了も近いことから本当に予断を許さない状況です。
休校措置の影響もあり、姿をみかけること自体も困難になりつつありますが、世情が落ち着きましたら、可能な限り記録しておきたいと考えております。

上掲の写真は1年前の様子です。
この1年の間に、状況は一変してしまいました。

更新実施

  • 局長
  • 2020/05/06 (Wed) 17:12:41
新型コロナウイルスにより罹患された方々及び関係者、医療従事者、影響を受けられた方々には、謹んでお見舞い申し上げます。

当会においても、昨年は交通局閉局20周年ということもあって活動を活発化させておりましたが、今年は昨今の状況を踏まえまして、大幅に諸活動を制限せざるを得ないのが残念なところです。

こうした間にも、最後の「赤バス」としてその動向が注目を集めていた3114号車が、遂に3月末を以て廃車に。
本年1月頃から処分の噂自体はありましたが、奇しくも、1年前の記念行事で平生より駆け付けた際とちょうど同じ日付で抹消登録されており、役目を終えたことを象徴するかのような、静かな最期でした。
同車の抹消により、「赤バス」は誕生から67年の系譜に、とうとう終止符が打たれてしまったことになります。

一方で、旧山口市営車としては、塗装変更のため傍目には「赤バス」とは分かりませんが、3010号車(現646号車)が幾多の危機を乗り越え、今や鎮守神のように宮野車庫に健在であり、また、市営バス77年の歴史を体現する最後の1台としてその役割を担うようになりました。

ただ、こうした状況も車両自体の老朽化や旅客減少の冷徹な現実の前には予断を許しません。
引き続き、見守って参りたいと思います。

さて、本編についてはこうした現状を基に情報の修正等を行いました。

表紙のお写真はご提供写真で、旧朝倉線「荻」付近の末期の様子になります。
鬱蒼とした樹々が、主役である車両(う1638号車)に視線を集める見事な構図で、市内隅々まで路線を持った時代が偲ばれますが、この樹々は数か月前に伐採が始まり、現在、左側の樹々はカーブミラーを遺して消滅してしまいました。
昨年まではこの30年以上前と殆ど変わらない雰囲気が保たれていましたので、また一つ「名所」が失われたようで残念ですが、こうして貴重な記録を拝見させていただきますと、つい最近のように思い出されて熱くなるものです。
お送りいただきまして、誠にありがとうございました。

ほか、本編では幾つかの修正等を行っております。
ますます情報が動くことも少なくなり、喪失感から関連2ブログの執筆も停滞しておりますが、何れ気分が向いたらまた一気に手入れしていきたいと考えて居ります。
引き続き、宜しくお願い致します。

新年のごあいさつ

  • 局長
  • 2020/01/01 (Wed) 17:41:59
謹んで新年のごあいさつを申し上げます。
また、いつも当サイトをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

昨2019年は、旧交通局にとって、赤バスにとって、そして愛好会にとって、一つの「区切り」となる年となりました。

1月、「山口市交通局閉局20周年記念式典」を計画し、3月末に湯田温泉のホテルで催行。
多くの方々に多大なるご支援を賜り、また、元職員様を中心に約70名の皆様にもご参加いただき、旧山口市交通局の存在に思いを馳せる機会を得ることが出来ました。

7月、これまでの活動実績等を基にして地元テレビ番組に愛好会として出演。
同月、本務車として定期便を持っていた満身創痍の3107号車が除籍。

10月、やはり20周年を記念して、防長交通 新山口営業所に新型車両が山口市営カラーを纏って登場、出発式典に旧交通局職員様数名と共に参列。
同月、最後まで現役を続けた3000、3056、3109号車が除籍。
ここに至り、遂に真の赤バスが山口市内から姿を消しました。

こうした経過のうち、特筆すべきはやはり3月の記念式典の開催です。
在野の趣味人が実際の当事者と時間・空間を共有する極めて稀有な機会を得たという事実は、もはや単なる趣味の領域を超えて、新たな一つの事業の段階に到達したことを明確に象徴するものであり、改めて今後の活動の原動力にもなったと考えております。

車両については、以前にも触れておりますとおり、最後まで残存した平成6~7年式頃の車は、市営時代の同時期に大量に導入された経緯もあり、廃車される場合も一斉処分となることが推測はされておりましたが、実際にこうした結果となったことは、改めて残念であると言わざるを得ません。
特に3107号車は車検を受けた翌月に廃車されており、10月に廃車された3台のうち2台も検査期限を存分に残しての事態でしたので、特に悔やまれます。

一方で、赤バスの意匠自体は多くの方のご厚意もあって、新山口営業所に導入された新型車両が継承しており、交通局の顕彰と、過日の記憶を思い出させてくれる役割を担いながら、当面は活躍を続けてくれることでしょう。

また、3010(646)と3114号車はいまだ健在であるため、こちらの動向も目が離せません。

令和2年。
当会としましては、これまでは主に「記録」と「収集」等に取り組んで参りましたが、今後は「保全」と「活用」等に多くの資源を配分し、引き続き様々な方面に働きかけを進めて参ります。

本年もどうか、変わらぬご支援をお願い申し上げます。

※本編更新により、最新の車両情報等を掲載しました。
※表紙および上掲の写真は合成です。
※各ブログは https://kyokuchoshitsu.hatenablog.jp/ と https://shioji581.hatenablog.jp/ 
 に既に移転していますが、更新作業は中断しております。ご了承ください。