
予てより、旧山口市営の最後の現役車として去就が注目されていた3010号車(646)でしたが、7月末に遂に除籍されたことが確認されましたので、ここにご報告します。
3010号車は、1995年(平成7年)、「う362号」(三菱B806N,車齢19年11か月)の後継貸切車として、湯田庁舎に納車されました。
もともとは三菱のMS8系車、そして西工車体の導入を想定していたようですが、結果的には日野/純正車体での採用に至ったようです。
制作中から横浜の工場で内装の仕様を念入りに確認したためか、同時期に富山で落成した「う3000号」(三菱U-MK517J)は、納車前の検収が時間的に不能となり省略されたという逸話も伝わります。
導入に際しては、前年に導入された「う2892号」型路線車(三菱U-MK517J)と配色を揃えており、従来の貸切車と比較して、赤色の面積が減少しているのが大きな特徴です。
山口市営史上、最大・最強の車型であると同時に、当時最新の設備を誇る豪華貸切車として、様々な場面で市営末期の収益を支えました。
そもそも山口市営は、昭和25年10月に山口県内で初の観光貸切事業を開始しており、昭和26年には同じく県内初のリヤエンジンバスを導入、その後も天皇行幸や国体輸送、県内市町の共同広報活動、「市内定期観光」、「文化バス」など、山口県、或いは山口市を代表する観光・貸切事業を担う場合が多く、本車はその栄光の系譜に連なる、最後の存在だったと言えるでしょう。
その後の旧市営車としては唯一、車内外を防長社仕様に変更しており、登録替え(さらに県外転出)まで行われています。
そして山口復帰に際して選ばれたのは、本来の所属であった山口営業所であり、以降も路線化改造されることなく一貫して貸切仕様に留まったのは、幸運といえるでしょう。
晩年は機関不調に悩まされ、本来はもっと以前に処分の対象とされていたようですが、様々な要因が重なり、満身創痍の状態ながらも多くの方に支えられて、このたび27年にも及ぶ旅を終えました。
<主な車歴>
1993年(平成5年)9月6日、湯田庁舎に納車(同型車なし)。
1995年4月、宮野庁舎に移転。
1999年3月、山口市交通局閉局。防長交通山口営業所に所属。
2004年、防長観光バスへ編入。新山口営業所へ転属。防長観光仕様に塗装変更、座席モケットを交換。
2005年、広島営業所に転属。登録替え(広島200か780)。
2008年、防長交通へ再編入。山口営業所に貸切車として復帰。登録替え(山口200か646)。
2015年、冷蔵庫故障、防府競輪の送迎事業の専従車に。
2018年、支援学校の通学車(スクールバス)に。
2020年7月、検査期限満了。
かつて詩人が例えた「赤い花束」たちは次々と去り、そして最後に残った一輪の花。
姿を変えて静かに咲くその一輪に、これまで私たちは万感の思いを込め無限の命を感じていました。
全ての赤バスたちを看取り、そして宮野庁舎の本来の主として殿の責務を全うした本車を、いま称えたいと思います。
添付写真は、閉局から間もない頃の本車です(ご提供写真)。
一晩で車体表記を変えられた路線車とは異なり、本車は運命に抗うかの如く市営仕様のまま当面を過ごしたことが分かります。
こうして、大きな痛みを伴った公営事業の民営化は、21年目に漸く完結し、歴史的区切りを迎えたといえるでしょう。